知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第9話(前編) 重原の傍示杭

 傍示(ほうじ)(くい)をご存知でしょうか? 古くから、領地の境界に設置されていた杭のことです。当初は木製でしたが、後になって石柱に変更されたとか。従って、傍示石ともいいます。
 その傍示杭が、何と重原にあるのです。名鉄重原駅を下車してすぐ近く。上重原町公民館の北側に、重原城址の石碑と並んで建っています。彫られている文字は、「従是西 福嶋領」。高さ2メートル、25センチ四角の、大きな石柱の3面に文字は彫られているのですが、()()か1面は空白。
 理由を調べてみると、空白の部分を西に向けて設置する決まりだったとか。
 今でこそ、上重原町公民館にある傍示杭ですが、江戸時代には重要な道しるべとして東海道(安城市大浜茶屋)に設置されていたのです。
 「従是西 福嶋領」があれば、「従是東 福嶋領」の傍示杭があるはず。さて、それはどこにあるのでしょう?

【上重原町公民館の北側にある傍示杭】

(坂之上九門)

(知立くらしのニュース 2012.8.18 掲載)

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