知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第9話(後編) 重原の傍示杭

 もう一つの傍示(ほうじ)(くい)「従是東 福嶋領」があるのは、浄福寺(刈谷市重原本町)南側。「何故(なぜ)、刈谷に?」と思いますが、明治まで同じ福嶋領だったことを考えれば納得できますね(この傍示杭、江戸時代には知立の松並木の東端に設置されていたとのこと)。
 明治になって廃藩置県が施行されるまでの長い間、傍示杭は東海道を行き交う旅人たちの大切なランドマークだったのです。そんな傍示杭にお願いをしたら、取って置きの話を教えてくれました。
 「オランダ医師シーボルトが池鯉鮒宿で買ったもの、それはね、古びた白鳥といくつかの(キツネ)の剥製なんだよ」と、びっくりするような返事が返ってきました! 初秋の一日、重原の傍示杭を訪ねて、内緒話に耳を傾けてみませんか。重原城址をはじめとする数々の史跡、弘法大師や内藤魯一翁の足跡をたどるのも楽しい。皆さま方のご案内は赤トンボにご一任を!

【浄福寺南側にある傍示杭】

(坂之上九門)

(知立くらしのニュース 2012.9.15 掲載)

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