知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない
第14話(後編) 池鯉鮒宿の出入り口・土居
わがまちの歴史の語り部『知立市史』(上巻)に、興味深い記述が残されていますのでご紹介します。
前島満助氏(元町長)による『見聞記録』によれば、池鯉鮒の木戸は「高さ一丈余り幅三尺程の土壁があり、二抱えもある大松が五、六本生えていた。そこに道幅大の関門があり・・・」とありますから、かなり本格的なしつらえです。
宿駅制度が始まった江戸前期には、「常在戦場」が大名たちの心構え。従って、本陣が置かれていた宿場町が、守りを固めた要塞としての機能や構造を重視していたのは当然のことだったのでしょう。
それでも、江戸後期になると、次第に防御体制が緩和されて、土居だけが残ることになった…と愚行していますがいかがでしょうか。
池鯉鮒宿は江戸文化圏最西端の宿場。東西文化の接点に立地しながら、大名や旅人たちの安全を支え続けたのです。
(坂之上九門)
(知立くらしのニュース 2013.07.20 掲載)