知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第18話(前編) 道しるべ、来迎寺の一里塚

 今から410年前の1604年2月4日のこと。徳川二代将軍秀忠は、江戸の日本橋を基点にして、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7道に一里塚を築くことを命じたのです。一里塚は5間(約9メートル)四方を土盛りして、その上に松や榎、また杉などを植えて築かれました。
 江戸から池鯉鮒までは84里17町7間(約331・8キロメートル)でしたから、来迎寺の一里塚は84里のランドマーク。すぐ近くには「牛田の大豆炒り茶屋」があり、一休みするのに絶好の場所だったと思われます。
 〝炒った豆をかじりながらお茶をいただく〟のは、今風のオープンカフェ気分。ひょっとすると俳句が思い浮かんだのかも…例えば〈松映えて/真澄の空や/一里塚〉などと。
 「すべての道はローマに通ず」の名言を借用すれば、「すべての道は江戸に通ず」の7道。東海道の一里塚がわがまちに残されているのは何という幸せ、それも一対で!

(坂之上九門)

【旧東海道の左右に設けられている来迎寺一里塚】

(知立くらしのニュース 2014.02.15 掲載)

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