知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない
第18話(後編) 道しるべ、来迎寺の一里塚
一里塚の独り言を「日本むかし話」の語り口でどうぞ。お近くに寄ってお聞きください。
そうよのう。何といっても、1634年に三代将軍家光殿が行った3回目の上洛はすごかったのう。約30万7000人の大行列。先頭の者が浜松に達したとき、最後尾はまだ江戸城内にいたそうじゃ。また07年の朝鮮通信使一行にもびっくり。500人ほどの隊列が、笛や鉦、太鼓を打ち鳴らすもんじゃから大さわぎじゃった。
かれこれ12回も江戸へ出向いたかのう。そうそう琉球通信使の江戸参府は確か34年から。18回も往復したんじゃから、よう覚えとるよ。肝っ玉が引っくり返ったのは、広南から連れてこられた白象! 1727年5月5日に池鯉鮒に1泊したんじゃよ。遠くから見たんじゃが、これにはたまげた。 それにしても、松並木というのはようできたもんじゃのう。春は雨よけ、夏は日よけ、秋は風よけ、冬は雪よけ。旅の衆は、みんな楽をしとったわい。
(坂之上九門)
(知立くらしのニュース 2014.03.15 掲載)