知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第29話(前編) 知立小学校の校門

 1873(明治6)年9月24日、了運寺庫裡を教室にして産声を上げた知立小学校。その後、明治・大正・昭和と続いた大きな時代の変革にも揺らぐことなく、1973 (昭和48)年には開校100周年を迎えたのです。『知立小百年(知立小学校百年誌)』によれば、現在の知立市新富に新設された知立小学校は「逆コの字」形の配置。色ガラスを用いたモダンな2階建ての本館は東向きだったのです。南北に校舎があり、中央は運動場。
 校門は3カ所(正門・南門・通用門)にあったようです。新校舎完成後、しばらくして三河鉄道敷設が始まりました。校舎東側には知立駅(現在の三河知立駅)完成。続いて西側に愛知電気鉄道知立駅(現在の知立駅付近)完成。さらには、愛知電気鉄道が岡崎方面へ延伸するために、土盛り高架線を小学校の南側に建設したのです。
 日々刻々、移り行く光景を、校門はどんな思いで見つめていたのでしょうか。 

(坂之上九門)

【永田、野村医院の前に建つ門柱(平成25年筆者撮影)】

(知立くらしのニュース 2016.1.16掲載)

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